SSブログ

意見の聴取(1) 聴聞官 星野孝一 [フィクション]

星野孝一は通勤の電車を降りると、駅から徒歩15分の勤め先まで早足で歩いた。早足で歩くのは警察官として働いていた時の習慣が未だに残っているからであろう。歩きながら住宅街のはずれにある公園に目をやると、池の表面に氷が張っている。最近ではめったに見ない光景だ。どうやら今年は暖冬の予報が外れたらしい。

いつも通り午前8時前に、現在の勤務先である「運転免許センター」に到着した。

意見の聴取①.JPG


星野は出勤してすぐに温かいコーヒーを飲むのが日課になっている。コーヒーを飲みながら、今日行われる”意見の聴取”に関する書類に目を通した。

”意見の聴取”は、週2回免許センター内で行われる。90日以上の運転免許停止もしくは運転免許取り消しの基準に達した人を免許センターに呼び出し、聴聞官(意見の聴取主催者)が対象者と個別に面談する。免亭や免許取り消しの処分を決定する前に、被処分者の主張や反論、立証を”意見の聴取”の場で確認することが主な目的だ。


今日行われる”意見の聴取”の出席予定者は20名。聴聞官3人で分担して聴取を行うので、星野の担当は7名分となっている。過去3年にさかのぼって違反の調書を確認すると、ほとんどは軽微な違反である「一時不停止」「通行禁止違反」などの積み重ねで違反点数が加算されたケースだが、まれに「酒気帯び運転」「速度超過50km以上」などの重い違反で処分される人もいる。
これだけ飲酒運転の罪が議論されるようになったのに、まだ守れない人がいるのか・・・星野はそう思ったが、すぐにその考えを自ら打ち消した。

聴聞官として勤務して2年の間に、数百名の”意見の聴取”を担当した。彼らの年齢はまちまちだが、茶髪にピアスをつけた若者、面接中に帽子を取らない人、質問をしてもまともに返答ができない、すぐに怒りだすなど、おおよそ社会にうまく適応できていない様子の人が大半だった。そもそも常識的な交通ルールすらまともに守れない連中を相手に飲酒運転の罪を説いたところで、まともに理解してもらえるかどうか分かったものではない。そんな連中を相手にする仕事だから気が滅入ることが多く、正直にいえばうんざりな仕事だった。

しかしながら、おそらく定年を迎えるであろうこの職場で、星野は最後の奉公として聴聞官の仕事をやり遂げる決意をしていた。かつて現場の一線で警察官として活躍していた頃を懐かしく思う時もあるが、過去の栄光をのんびり振り返るのは定年を迎えてからにしよう。そのようなことを日々考えながら淡々と”意見の聴取”に取り組んでいた。


午前8時30分、”意見の聴取”に出席する人が待合室に集合した。

意見の聴取③.JPG

今日の出席者は男性18名、女性2名の計20名。聴聞補佐官の木内が”意見の聴取”の進行と運転免許の点数制度について出席者に詳しく説明する。
説明している間に、2人が遅刻して入室してきた。本来なら追い返したいところだが、こんな連中相手に怒ってもしょうがない、と木内は自らに言い聞かせ、遅れてきた人にも丁寧に同じことを説明する。

30分ほどで説明を終えると、木内は一旦聴取室へ戻り、星野に事前説明が終了したことを伝えた。


意見の聴取④.JPG


「それでは始めましょう。木内君、順番に呼んできてください」
「はい」

星野の指示を受けた木内は再度待合室へ行き、努めて明るい口調で話し出した。
「それでは、これより”意見の聴取”を始めたいと思います。最初に整理番号5番の近藤和夫さん、いらっしゃいますか」
「はい」
部屋の一番奥にいた中年の男性が、返事をして立ちあがった。


つづく → 意見の聴取(2)


nice!(16) 

nice! 16